2026年10月15日~19日を会期とし、カクヒログループアスレチックスタジアム(新青森県総合運動公園内)にて第80回国民スポーツ大会「青の煌めきあおもり国スポ」陸上競技が開催された。
青森駅にほど近い場所に宿をとった私は、そこから電車とバスで競技場に向かうことになったのだが、電車やバスの感覚が凄まじいことと距離があることで歩いたりなどの代替移動手段がないことも相まって、特定の交通機関に国スポ関係の往来が殺到していたことで、なかなかハードな会場への出入りを強いられた。
初日の天気は雨と曇りが目まぐるしく変化し、日が落ちるころにはすっかり雨模様。
二日目いっぱいまで雨は続き、同時に青森特有の冷たい風も吹いていた。
もう一か月もすれば降雪もある地域なだけに、首都圏で生活する私は冬の厳しさを想像してぞっとした。

しかしサッカーなどはおそらくこの競技場で冬期でも試合が開催される。それに対応する形で設計された競技場の構造は面白く、現場入りして真っ先にその特徴が目に飛び込んできた。通常の競技場ならトラックの周囲は、用具庫になっていたり何らかの会議室になっていたりと、こちらから中を伺い知ることができないコンクリ壁であることが多い。しかしここは各コーナーの出入り口を除いてほぼ全方位的にガラス張りになっていて、その建物内側にはオールウェザーのトラックが2レーン敷かれていた。風が冷たい日は選手もそこでアップすればいいし、スタッフもそのガラスの内側から外をのぞき込んで競技運営を進めるということもできる。使い勝手がいい追加の10レーン・11レーン目が風避け付きで設置されているようなもので、なかなか画期的な構造になっていた。
とはいえ、初日は最高気温が16.8℃、最低気温が10.1℃。風も全時間帯平均で約4m吹いていた。
選手側からすればベストコンディションを発揮するのは難しい天候だ。そしてじっとシャッターチャンスを待つ私たちにとってはもはや最悪な天候である。さらに市街地から距離があることや平日木曜という条件も相まって、観客もなかなか集まらない。おそらく一切関係者ではない自然流入の観客はほぼゼロだったのではないか。
競技場の温度、という意味でもなかなか上がってこない。難しい試合だ。
それでも選手たちは各都道府県の代表で県章を背負ってきている。その奮起もあって今大会ではこれだけの大会記録やジュニア日本新が生まれた。

中には寒さを味方につけ、あまり類を見ない結果を生んだ種目もある。
少年A男子5000m競歩である。
雨はあがっていたとはいえ、1位から9位までが大会記録を出すという快挙。今季冒頭の2026年4月5日に開催された第10回東京学芸大学競歩競技会で樹立された金子 陸(国士舘大学4年)の17分59秒32に迫り、超える選手もこの中から出てくるかもしれない。
逆に思いきり寒さや風の影響を受ける競技も上の表には含まれている。
成年女子棒高跳びで、それを制したのは小林美月(東京・日体大)である。日本記録保持者の諸田実咲は不在だったが、ほかにも社会人を含めた有力な選手がいる中でなぜ高いパフォーマンスを発揮できたのか。それは別の記事で詳細に触れたい。
なにはともあれ、アジア大会も終了し、それに出場できなくとも年間のマイルストンとしてピークを持ってきたい大会は終わってしまっているはずの多くの選手が、こういった悪コンディションの中で上記に含まれないものも含めて記録を量産した。どうしてそんなことが起きるのか。
成年男子800mを制した落合晃は予選終了時に「県のために何としても勝ち切りたい」と語った。
その言葉がその全てかもしれないなと感じた。選手にとって国スポはピーキングうんぬんではなく、これまでお世話になった県の役員や先生方への恩返しの場であり、切迫した勝負を忘れて競技ができるお祭りである。そういう特別な場だからこそ出る力もあるし、筆者も割とそちら寄りの選手だった。「そういうことだよな」と共感したのはこの取材の中でも記憶に残る瞬間であった。
さて、競技が終われば市街に戻る。
煮干しラーメン・ホタテと一通りのものはいただいたが、どの都道府県でも取材で疲れた体を癒す本当にいい酒場を探すのは難しい。今回も例外ではなかった。
帰りの新幹線でたまたま弘前で講習をしていたという消防庁の偉い方と隣り合わせになった。驚くほど空いている社内でなぜかと並んで座るおじさん二人。どうしても仲良くなる。
「津軽三味線酒場って言うのがあって、そこは本物の力強い津軽三味線を聞きながら一杯やれるのでよかったですよ」
青森の街を飯屋を探して2時間歩いた筆者からすれば、何とかして行きの新幹線で出会いたかったものである。