左から桐生(4走)、多田(1走)、小池(3走)、山縣(2走)

■プレッシャーとは”恐怖”そのもの

プレッシャーは、何かに挑もうというその水際に、
意識的・無意識的を問わず感じる、
「失敗するかもしれない=目指す結果とギャップが生じてしまうかもしれない」という不安や恐怖から生じる。

逆にそこに一切のギャップが生じていない場合、プレッシャーは発生しない。

卑近な例でいうなら、ゴミ箱の近くに行ってゴミを捨てるのと、離れたところから投げ入れようとするのとを比較すれば、その「ギャップ」を具体的に理解できるだろう。

前者では当たり前に望む結果が得られるだろう。ゴミを捨てようと椅子から立ち上がる瞬間に不安や恐怖を感じる人間はほぼいないはずだ。だからそこに「目指す結果とのギャップ」は存在しない。よって、当然プレッシャーは感じない。

逆に後者は「もしかしたら外れてしまうかも」と、目指す結果にならない可能性を考える。だからほんの少しドキドキする。「絶対に一投で入れなければならない」「入らなかったら罰ゲーム」などと真剣に取り組めば取り組むほど、そのドキドキは大きくなっていく。それは日常に生じる小さなプレッシャーだ。

極めてシンプルな「ゴミをゴミ箱に入れる」行為でも、ギャップが生じる可能性の有無で、動作主体の内面はこれほど大きく変化する。

その点で言うと、以下の3つのギャップが考えられる。
 ①自身のパフォーマンスは高いが、それに比較して「目指す結果」の
  水準が高すぎる。
 ②「目指す結果」の水準は妥当だが、自身のパフォーマンスが
   低すぎる。あるいは安定的に発揮できない。
 ③パフォーマンスが低いor安定していないのに、「目指す結果」の
  水準が高すぎる。

■無意識に作り上げた”理想”と”現実”

2018年度、世界ランキング2位。
日本の男子スプリントは確かに盛り上がっていた。

男子リレーでは2012年の北京・2016年のロンドンと2度のオリンピックで銀メダル、翌年の2017年世界陸上ロンドン大会でも銅メダルを獲得 するばかりか、桐生祥秀(日本生命:当時東洋大学)が日本人初の100m9秒台の日本記録を樹立する一方で、次に誰が9秒台へ突入するか、日本新記録を出すかが全く予想がつかない、かつてないほどのハイレベル化が進んでいた。

長年の経験で培われた日本の技術と選手層の厚さによって、世界でも屈指の強豪チームとしての地位を確立しようとしていた。世界ランキング2位というのは並みの数字ではない。

それだけに、IAAF世界リレー2019横浜大会(於: 横浜国際総合 5/11-5/12)では、「場合によっては金メダル」というような、これまでは考えられないような期待を一身に背負って、チームジャパンはトラックに現れた。

だが、現実はそう上手くはいかなかった。

男子4×100mR予選 3組 
オーバーゾーンによる失格
( 3走:小池→4走:桐生のバトン受け渡し時 )

それが選手たちが向き合うことになった現実だった。

正直、事象だけ見れば本当に平凡な話なのだ。
バトンを落とした。
次の走者に追いつかなかった。
中学生から世界大会まで、いつでも起こりうる平凡なアクシデント。

ところが、その日に限ってはそうではなかった。
「こんなことよくあることさ」とはならなかった。
「もしかしたら金メダルが獲れるかも」という期待値からの、予選での失格という現実は、あまりにも揺り返しの幅が大きすぎた。

■”ギャップ”が生じた隙間

ではなぜそんなことが起こったのか。
2つの原因が考えられる。
1つは、彼らのキャパシティを超えて、自他からの期待が大きくなり過ぎたこと。
もう1つは、メンバー間の信頼が足りなかったこと。
共通点は「変数を作ってしまったこと」。

事象だけ見れば、桐生が我慢しきれずに小池からのバトンを探して、受ける手を動かしたことが直接的な原因だ。これはオーバーハンドパス・アンダーハンドパスに関わらず、決してやってはならない行為だ。
陸上競技を始めたてのメンバーでリレーを編成しても、最初に伝えるべきは「走ってくる走者を信頼して、振り返らずに全力で走れ。次の走者は全力で加速しながら、 手渡しの合図をじっくり待て」である。
ただ、これまで多くのリレーのレースを繰り返してきた一流のスプリンターである彼が、簡単にそのような過ちを犯すだろうか。そんなはずがない。
(ちなみにだが、ネット上には3走の小池を責める声も散見されたが、小池はその走りも、彼の責任において行われるべきバトンワークも完璧だった。責任は一分とて無いことは断言しておきたい)

だからこそ私は上記の2点を挙げた。
桐生はその瞬間、正しい判断ができる状態ではなかった。

そのパニック状態を作ったのは、
「うまくいけば世界一になれる。自分たちがすべてを出し切り、これまで以上にいい走りをし、運も味方につければ世界一も夢じゃない。しかも日本開催。日本のファンの前で、最高の結果を出せる千載一遇のチャンス。」そんな自他の想いが生み出した世界一の”理想”と、それを実現するためには自分たちに現状を超えていかなければならないという”現実”が織りなす最大幅の”ギャップ”=「世界一のプレッシャー」だ。
その中では、ほんの少しのミスも許されない。しかし自他の期待は限界まで高まり、プレッシャーへと姿を変える。想像しただけで息が詰まるようだ。

その点では世界一を経験したアメリカ・ジャマイカ・イギリスなどは余裕が違う。少しバトンでまご付いたところで、走力で圧倒できる力を持っている。

ではそのプレッシャーを克服する方法はないのか。
ご自身の課題と捉えている読者もいらっしゃるのではないかと思うので、詳しく解説したい。
ここで重要なのは「変数が少ない=定数を有している」ことだ。
分かりやすく言うと「どんな状況でもこれだけは担保できるというパフォーマンスを有している」ということだ。

上記のアメリカ・ジャマイカ・イギリスなどのチームは走力という定数を持っている。これは状況によって変化しにくい。 

しかしどれだけハイレベル化が進んだとしても、上記の国々のような、毎年世界のファイナリストに残れる選手を輩出するような次元にはまだ届かない日本男子スプリントには、それらの国と同様の定数を持つことはできない。

■練習は”定数”を作る

だからこそ、バトンなのだ。
別にアンダーハンドが素晴らしいのではない。各走者に実力以上の力を与えているわけでもない。
「どのような状況でも、次の走者に/前の走者から、理想に限りなく近い形でバトンを渡す/もらう。」
反復の中で技術が定数となり、レースを下支えする。それをギャラリーは信頼と呼び、日本のリレーチームが生み出す輝かしい結果の根幹になっていた。

だが、今回のレースを見ると、それらは世界一になるまでには及ばなかった。
変数だらけで勝負してしまった。「どうなるか分からない」という重圧を生み出す隙を作ってしまったのだ。

「目指す結果」と自分たちを、いつでもどこでも無理なく結びつけることができる定数を多く持ち、安定したレースの末、いつか世界の強豪たちに風穴を開ける。
彼らが迎えるそんな日を心待ちにしたい。

By 大澤

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