儚くも散った金メダルの夢

2021年8月6日、Tokyo2020の大会日程で目玉とも言える陸上競技男子4×100mRの決勝が開催され、日本からは多田修平(住友電工)、山縣亮太(SEIKO)、桐生祥秀(日本生命)、小池佑貴(住友電工)が出場した。※順番は走順通り
結果は1走から2走へのバトン区間でのオーバーゾーン(既定のバトン受け渡し区間を過ぎてしまう反則)による失格だった。

レース後のうなだれる多田、それでもやるべきことはやったのだと毅然と前を向く山縣、3走のポジションから駆け付け、自分が走れなかったにも関わらず笑顔で多田を励ます桐生の構図は印象的だった。
多田は「いつもなら届いている距離だった。自分のせいで渡すことができなかった」、山縣は「攻めた結果で、全力を出し切った」とコメントした。そして重要なのはこの後で、世間では大逃げしたような形になり、かつ謝罪も述べていないとして山縣バッシングが始まってしまったのだ。

不当なバッシング

責任の所在を分かりやすい個人に求める気持ちは分からなくもないが、今回の件は筋違いというものだ。

このような記事を書いている私は、過去には陸上競技に選手としても指導者としても携わっていたことがあった。
指導者としては東京都入賞クラスの選手を関東1位に押し上げたりと、選手や動きを見る目と育てる腕はそれなりだったと自負していて、選手としては代表リレーなどというレベルではないが勝って当たり前というレースに出場し、勝ったこともあれば、当然負けたこともある。

そんな私が思うに、今回の件は「メンバーの○○が悪いから起こった」といったものではない。
そこには少し深い背景があって、競技経験がなければ読み解けない部分も一定あるかとは思うが、原因はもっと前の段階で、予選を走る前の代表チーム全体の準備にあり、それが予選のパフォーマンスを下げ過ぎたことを経由して今回の件に繋がっているように考えられる。

あの時何が起こっていたのか

そもそもオーバーゾーンが発生するのは、
①次の走者が早く出過ぎた
②次の走者の調子が通常よりも悪いと見做して、すぐに追いつかないようマーク(走路に貼った次の走者が飛び出すための目印テープ)までの距離を遠めに取ったものの、想定よりも次の走者が走れてしまった
③前の走者がバテた
の3つのみ。

映像で確認したところ決勝の山縣選手はほぼマークピッタリで出ており、1走多田選手のスピードもしっかり乗っていたことから、①と③が消えて、②を原因として考えることになる。
実際、決勝の山縣選手はスタートのキレが戻っており、予選と比べて格段に走れていた。
よって結果的に、決勝では多田は「同じ選手ではあるものの予選とは走力は別人」というような相手とバトンの受け渡しをぶっつけ本番で完遂せねばならない状況に追い込まれいた。
そういった点では、前述したように多田は自分の走力がなかったからだと自責しているが、そこには本当にそうなのかと疑問符が付く。

そうなってしまうと、日本の武器である美しく効率的なバトンパスは「ほぼ無理」な状況となる。
前の走者が速い分には詰まるだけなのでまだリスクは低いが、逆となると致命的だ。

なぜそうなってしまったか

個人の走力の問題でもなく、山縣の走り出すタイミングの問題でもない。その原因は予選にあると私は考えている。

今回のリレーはチームとしてもメンバー個人としてもここまでに積んだドラマがあった。自分がやらねば誰がこの自国開催という唯一無二の機会に周囲の期待に応えられるのかといったような責任感を各人が持って臨んでいたはずだ。

例えば、長年の夢がかなって日本記録を樹立し、男子短距離界の絶対的な支柱となった山縣と、その山縣に勝ち切って念願の日本選手権を制した多田には日本人初の100mでの決勝進出が現実味を帯び、かつその先にあるリレーには自他ともに並みならぬ期待があっただろう。
またリオの銀メダルに続けと世間が盛り上がる中、2018年の世界リレーではバトンを落とした張本人として世界一を逃した原因を世間から背負わされ、雪辱を誓う桐生・小池。特に桐生は個人での出場を阻んだ直前のアキレス腱の故障を乗り越え、まさにこの種目だけに懸けており、非常に高い仕上がりを見せていた。

ところがオリンピック期間中に目を向けると、日本代表は個人種目でことごとく結果が出ない。
自身のパフォーマンスすら発揮できず、その一方で他の有力国の選手たちは走力の高さを見せつける。
本丸とも言えるリレーの直前にこの状況では、確実に緊張が生まれパフォーマンスは落ちる。
期待と現実の乖離が身体を重くする。

山縣は100mの予選レース後インタビューではっきりと「緊張した」とコメントした。
そしてリレーの開始までにその緊張を解消できるはずなかった。むしろ強まったはずだ。
レース開始前の選手たちの顔にはまさに不安・緊張と書いてあるかのようだった。
(ちなみに私はその時にテレビの前で「これはまずいな」と独り言を言っていた)
かろうじて決勝進出は果たしたものの、レースでは様々な課題が見え、走力にせよ、バトンワークのような技術的なものにせよ、ベストパフォーマンスからは程遠く、組に救われた(他のチームが遅くて助かった)という印象だった。

走力では他国に劣る中で金メダルを目指す以上、決勝では予選で顕わになった課題を全て解消する必要がある。
”前の走者と次の走者のスピードのピークが重なるギリギリの一瞬にバトンパスのタイミングを合わせに行く。”
のとは別にだ。
リレーでは本気で勝負しに行くぞというレースのとき、前の走者は次の走者に
「絶対振り返るな。トップスピードを出すことだけを考えろ。死んでも渡す」
というようなことを伝えることがある。決勝でも間違いなくこの心づもりだったはずだ。
しかし先に触れたように、そもそもメンバーの誰か一人でも走力が変われば、すべてのバランスが崩れる。
となると、もうそれは分が悪い博打となる。

その時点で今回の決勝での結果は見えていたも同然だ。

どうすれば博打をせずに済んだのか

ならば、開会前から予選・決勝へのメンタル面でのプランニングを明確にし、予選を大事に走ることが必要だった。
そしてそれには、陸上競技の代表チーム全体の取り組みとして選手たちのメンタルマネジメントを徹底し、普段のパフォーマンスに近い状態で選手を送り出すアプローチが必要だった。もちろん手つかずということは考えにくいため、少なくともうまくはいかなかったというのが実情かもしれないが、本当に金メダルを獲得するには時間軸としてはこの時点から考える必要があった。

一般にはそういうプレッシャーも跳ね返してこそアスリートだろうという意見もあるはずだ。
ただ今回の場合はメンバー個人個人で対処できる範疇を超えているように思う。
達観した誰かはクリアできても、4人全員となると相当難しい。
あのレースの失敗の原因はあのレースそのものにあらず、と見てもらえれば、多田以外のリレーメンバーがコメントした「攻めた結果」「誰も悪くない」が腑に落ちるはずだ。
選手たちはあの状況で、金メダルを文字通り懸命に追いかけたのだ。

By 大澤

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